| | 1987年の5月の連休、燧ケ岳に登った。その帰りの車中で、若女平で遭難死のニュースを聞いた。そのときから、「来年は、西吾妻に登ろう」と思い立った。 翌年三月の第一日曜日、「山に行ってくる」と、寝てる妻に声をかけ出発。天元台ロープウエイの始発に乗り、リフトを三本乗り継ぎ、終点に着く。登山届は出さず、スキーをはいて出発。雪は降っていないが、ガスが濃い。でも、まあこのぐらいなら何とかなりそうだ、先行パーティの赤布と竹竿もあることだし・・・ガスはますます濃くなり、足元のスキーすら見えなくなる。それでも、地図とコンパスと高度計を頼りに歩き続ける。と、ツアー用の標識が見えてきた。これで一安心。あとはひたすら、西吾妻小屋を目指す。 ところが、行けども行けども見えてこない。気がつくと、また同じところに来ている。リングワンデリング、いわゆる輪形彷徨だ。そこで、先行シュプールと思ってついてきたのは、自分のつけたものだと気づいた。万事休す。吹雪いてきたし、もはやビバークしかない。モンスターの間の吹き溜まりに、スキーを使って簡単な雪洞をほり、ツェルトでふさぐ。落ち着いてから、装備と食料を点検してみる。ゴアシュラフカバー、ミルク飴一袋、カロリーメイト一箱、ストーブ+白ガス2L、コッヘル2、テルモス1、・・・・薄暗くなったバス停に彼女がいた。「送っていこうか?」と声をかけると、小さくうなづき助手席に座ってきた。それにしても寒い。雪洞をきちんと掘らなかったせいだ。ストーブを点ける。それでも寒さをしのげるわけではない。うつらうつらしてる間に、第一夜は明けていく。午前9時、嵐は収まったようだ。が、外は白い闇、ホワイトアウトである。食料もないので、荷物をまとめて出発することにする。が、またしてもリングワンデリングである。そうこうしているうちに、正午も過ぎている。西吾妻はあきらめ、若女平を下ることにする。コンパスで方向を定めシールを外して、滑りはじめた。標識など確認することなく。しばらくいくと、尾根に人影が・・・・・。座って、前方を見ていて、こちらには気づいていないようだ。声をかけようと近づいていくと、いつのまにかいなくなっていた。20度ぐらいの樹林帯の緩斜面がしばらく続く。快適だ。しばらくいくと、斜面の底に黒いアスファルトの道路が見えてきた。人里はもうすぐだ。どんどん滑っていくと、いつのまにか道路はなくなり、やがて、樹林帯がきれた。だだっぴろい雪原がひろがっている。このころから、ガスもきれてくる。そこのまばらに生えた潅木にはすばらしい自然の造形が・・・そこを過ぎると、また樹林帯に入る。しかし、まだルートは見えてこない。夜も近くなってきたので、きょうはブナの大木のそばにツェルトをはることにする。さて、食料は飴玉だけ。燃料もないし、あるのは新聞紙だけ。付近の枝を折り燃やそうとするが、煙がでるだけで、燃えない。そうこうするうちに、二日目の夜は更けていった。 夜が明けた。樹林帯にも明るい日差しが届いている。ツェルトをしまい、滑り出した。樹林帯のふかふかのパウダーは、あまりもぐらず、驚くほどよく滑る。スキートップの小さい穴から、雪の粉が噴出している。快適だ。東北大中央体育館の照明は、暗い。明るい外からはいってきたばかりの時は、尚更である。スローオフ直後、T葉からのパスをうけ、O宮が右からゴールに向かうように走ってくるのを見て、パスをするようにみせかけ、14mステップシュート(別名:盆踊りシュート)を、ゴール左上に打ち込んだ。キーパーは、なす術もなく、呆然と立ちつくしていた。まもなく、スキーが滑らなくなり、樹林帯もきれ、前方が開けてくる。目線より高いところに道路が見える。トンネルらしきものも見える。スカイバレーだ。後30分であの道路に出れそうだ。しかし目の前には、堰堤がある。10mほどの深い谷、幅は3mぐらい・・を超えないと行けない。さてどうする?迷わずスキーを外し、ザックもおろし、対岸に投げ出し、5.6歩後ろに下がり、助走をつけて跳んだ。一息いれ、何気なく向こう岸に視線を向けると、自分がつけた足跡の2.3m後方に同じような大きさの足跡が・・・・就寝前の点呼は形ばかりだったから、翌朝まで逃げたことは、気づかれないだろう。あらかじめ、ストーブの燃料庫に着替えを入れたバッグを隠しておき、夕食が終わって、皆思い思いにくつろいでいる時間に決行する。燃料庫で着替えをすまし、暗い外に出る。歩哨のいる門のあたりが明るいだけに、その周りは暗い。ひとりが巡回に出るのを見計らって、門から数百メートル離れた鉄条網に取り付く。3メートルはあるが、上の方が、外側に向かって折れ曲がっているので、超えるのは難しくない。バッグを一番下の鉄条網から外にだし、そこに足をかけ、一気に登り、飛び降りた。あとは、バッグを拾い上げ、何事もなかったように歩き出し、歩哨所の前を通り過ぎた。守衛がこちらのほうを見たが、何も気づくはずもない。ほどなく、タクシーがきた・・・・・・・シールをつけ歩き出す。100メートルほど歩くと、高さ10メートルほどの急斜面にさしかかる。スキーを外し、つぼ足で一気に登る。間違いなくスカイバレーだと確信する。あとは下るばかりだ。シールを外す。休むまもなく滑り出す。緩斜面のうえに、雪が腐っているので、あまり滑らない。ほとんど歩くような感じだ。天元台スキー場が、右手の上方に見えてきた。その上空でヘリコプターが旋回している。そのときは、誰か遭難でもしたのかな?ぐらいに考えていた。どういうわけか、電車は混んでいた。ので、比較的すいているデッキのわきのトイレの扉にもたれかかる。ヘリがいつの間にか、頭上に来てホバリング!本人かどうか確認しようと、呼びかけている。そのとき、捜索されていたのは自分自身であると悟った、愚かなわたしであった。蛇行しただらだらの下り坂をしばらく行くと、除雪した雪が山になっているスカイバレイのゲートにたどり着いた。そこでは、休む間もなく、報道陣と家族、親戚、知人たちの質問攻めにあうことになる。タクシーを待たせたまま、アパートの2階にかけあがり、ベルをならす。出てきた彼女に「泊めてくれ」というと、首を縦にふってくれた。ので、下のタクシーの運転手に用済みであることを告げ、部屋にはいった。・・・主な山スキー歴 オートルートを夢見て始めた山スキーも、今では休止状態。2004年は1回もスキーをはかなかった。
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遭難の仕方教えます 2004年作成
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