遭難の仕方教えます 2004年作成

















 
1987年の5月の連休、燧ケ岳に登った。その帰りの車中で、若女平で遭難死のニュースを聞いた。そのときから、「来年は、西吾妻に登ろう」と思い立った。
翌年三月の第一日曜日、「山に行ってくる」と、寝てる妻に声をかけ出発。天元台ロープウエイの始発に乗り、リフトを三本乗り継ぎ、終点に着く。登山届は出さず、スキーをはいて出発。雪は降っていないが、ガスが濃い。でも、まあこのぐらいなら何とかなりそうだ、先行パーティの赤布と竹竿もあることだし・・・ガスはますます濃くなり、足元のスキーすら見えなくなる。それでも、地図とコンパスと高度計を頼りに歩き続ける。と、ツアー用の標識が見えてきた。これで一安心。あとはひたすら、西吾妻小屋を目指す。
ところが、行けども行けども見えてこない。気がつくと、また同じところに来ている。リングワンデリング、いわゆる輪形彷徨だ。そこで、先行シュプールと思ってついてきたのは、自分のつけたものだと気づいた。万事休す。吹雪いてきたし、もはやビバークしかない。モンスターの間の吹き溜まりに、スキーを使って簡単な雪洞をほり、ツェルトでふさぐ。落ち着いてから、装備と食料を点検してみる。ゴアシュラフカバー、ミルク飴一袋、カロリーメイト一箱、ストーブ+白ガス2L、コッヘル2、テルモス1、・・・・薄暗くなったバス停に彼女がいた。「送っていこうか?」と声をかけると、小さくうなづき助手席に座ってきた。それにしても寒い。雪洞をきちんと掘らなかったせいだ。ストーブを点ける。それでも寒さをしのげるわけではない。うつらうつらしてる間に、第一夜は明けていく。
 午前9時、嵐は収まったようだ。が、外は白い闇、ホワイトアウトである。食料もないので、荷物をまとめて出発することにする。が、またしてもリングワンデリングである。そうこうしているうちに、正午も過ぎている。西吾妻はあきらめ、若女平を下ることにする。コンパスで方向を定めシールを外して、滑りはじめた。標識など確認することなく。しばらくいくと、尾根に人影が・・・・・。座って、前方を見ていて、こちらには気づいていないようだ。声をかけようと近づいていくと、いつのまにかいなくなっていた。20度ぐらいの樹林帯の緩斜面がしばらく続く。快適だ。しばらくいくと、斜面の底に黒いアスファルトの道路が見えてきた。人里はもうすぐだ。どんどん滑っていくと、いつのまにか道路はなくなり、やがて、樹林帯がきれた。だだっぴろい雪原がひろがっている。このころから、ガスもきれてくる。そこのまばらに生えた潅木にはすばらしい自然の造形が・・・そこを過ぎると、また樹林帯に入る。しかし、まだルートは見えてこない。夜も近くなってきたので、きょうはブナの大木のそばにツェルトをはることにする。さて、食料は飴玉だけ。燃料もないし、あるのは新聞紙だけ。付近の枝を折り燃やそうとするが、煙がでるだけで、燃えない。そうこうするうちに、二日目の夜は更けていった。
夜が明けた。樹林帯にも明るい日差しが届いている。ツェルトをしまい、滑り出した。樹林帯のふかふかのパウダーは、あまりもぐらず、驚くほどよく滑る。スキートップの小さい穴から、雪の粉が噴出している。快適だ。東北大中央体育館の照明は、暗い。明るい外からはいってきたばかりの時は、尚更である。スローオフ直後、T葉からのパスをうけ、O宮が右からゴールに向かうように走ってくるのを見て、パスをするようにみせかけ、14mステップシュート(別名:盆踊りシュート)を、ゴール左上に打ち込んだ。キーパーは、なす術もなく、呆然と立ちつくしていた。まもなく、スキーが滑らなくなり、樹林帯もきれ、前方が開けてくる。目線より高いところに道路が見える。トンネルらしきものも見える。スカイバレーだ。後30分であの道路に出れそうだ。しかし目の前には、堰堤がある。10mほどの深い谷、幅は3mぐらい・・を超えないと行けない。さてどうする?迷わずスキーを外し、ザックもおろし、対岸に投げ出し、5.6歩後ろに下がり、助走をつけて跳んだ。一息いれ、何気なく向こう岸に視線を向けると、自分がつけた足跡の2.3m後方に同じような大きさの足跡が・・・・就寝前の点呼は形ばかりだったから、翌朝まで逃げたことは、気づかれないだろう。あらかじめ、ストーブの燃料庫に着替えを入れたバッグを隠しておき、夕食が終わって、皆思い思いにくつろいでいる時間に決行する。燃料庫で着替えをすまし、暗い外に出る。歩哨のいる門のあたりが明るいだけに、その周りは暗い。ひとりが巡回に出るのを見計らって、門から数百メートル離れた鉄条網に取り付く。3メートルはあるが、上の方が、外側に向かって折れ曲がっているので、超えるのは難しくない。バッグを一番下の鉄条網から外にだし、そこに足をかけ、一気に登り、飛び降りた。あとは、バッグを拾い上げ、何事もなかったように歩き出し、歩哨所の前を通り過ぎた。守衛がこちらのほうを見たが、何も気づくはずもない。ほどなく、タクシーがきた・・・・・・・シールをつけ歩き出す。100メートルほど歩くと、高さ10メートルほどの急斜面にさしかかる。スキーを外し、つぼ足で一気に登る。間違いなくスカイバレーだと確信する。あとは下るばかりだ。シールを外す。休むまもなく滑り出す。緩斜面のうえに、雪が腐っているので、あまり滑らない。ほとんど歩くような感じだ。天元台スキー場が、右手の上方に見えてきた。その上空でヘリコプターが旋回している。そのときは、誰か遭難でもしたのかな?ぐらいに考えていた。どういうわけか、電車は混んでいた。ので、比較的すいているデッキのわきのトイレの扉にもたれかかる。ヘリがいつの間にか、頭上に来てホバリング!本人かどうか確認しようと、呼びかけている。そのとき、捜索されていたのは自分自身であると悟った、愚かなわたしであった。蛇行しただらだらの下り坂をしばらく行くと、除雪した雪が山になっているスカイバレイのゲートにたどり着いた。そこでは、休む間もなく、報道陣と家族、親戚、知人たちの質問攻めにあうことになる。タクシーを待たせたまま、アパートの2階にかけあがり、ベルをならす。出てきた彼女に「泊めてくれ」というと、首を縦にふってくれた。ので、下のタクシーの運転手に用済みであることを告げ、部屋にはいった。・・・
主な山スキー歴

オートルートを夢見て始めた山スキーも、今では休止状態。2004年は1回もスキーをはかなかった。
湯の台~鳥海山
単独 5月連休
白石スキー場~不忘山~南屏風岳~水引入道~白石スキー場
単独 厳冬期
えぼしスキー場~後烏帽子岳~北屏風岳~澄川スキー場
単独 厳冬期
塩沢スキー場~安達太良山~あだたらスキー場
単独 厳冬期
吾妻スキー場~家形山~五色スキー場~板谷駅
単独 厳冬期
酸ヶ湯~八甲田大岳~硫黄岳~酸ヶ湯 他 写真 単独 5月連休
御池~燧ケ岳 写真 単独 5月連休
いこいの村栗駒~栗駒山 写真 単独 厳冬期
国見口~横岳 写真 3人 厳冬期
石淵ダム~銀明水小屋~焼石岳 写真 5人 3月下旬
後生掛温泉~焼山 写真 5人 厳冬期
秋の宮温泉~山伏岳(秋田) 写真 3人 厳冬期
月山スキー場~月山 写真 単独 5月下旬
泉が岳スキー場~泉が岳 写真 単独 厳冬期
裏磐梯スキー場~磐梯山 写真 2人 厳冬期
澄川スキー場~刈田岳~清渓小屋~澄川スキー場 写真 単独 厳冬期

装備
板  ディナスターイエティ2本(180・185)・ブリザードアルペンエクストレム190
締具 エメリーアルチチュード・ジルブレッタ404・フリッチディアミール・チロリアTRB
ハンワグエアウェイトパワー・ダイナフィットツアーライト・ノルディカTR9
ストック  レキマカルー・ブラックダイヤモンド2本・シュイナード
シール コールテックス・フリッチ
ザック ICIオートルート・ゼロポイント・ミレーバルトロ・ローバー・ラテラ
アイゼン カジタ10本爪
参考書
山スキーの技術 青柳裕樹:中川祐二 白山書房 初版 1980
SKIING カール・ガンマ 平凡社 初版 1983
新雪テクニック入門 平川仁彦 山と渓谷社 初版 1979
実戦山スキー 降旗義道 山と渓谷社 初版 1987
スキーツアー入門とガイド 北田啓郎 山と渓谷社 初版 1988
スキーツアーのすすめ 北田啓郎 山と渓谷社 初版 1992
アウターゲレンデダウンヒル 次田経雄 山海堂 初版 1986
山スキールート図集1・2 共著 白山書房 初版 1984
スキーツアーガイド 山下喜一郎 白山書房 初版 1983
山スキーの本 小泉共司:奥田博 白水社 初版 1985
東北山スキー100コース 奥田博:伊藤繁 山と渓谷社 初版 1990
日本スキーツアールート集 北田紘一 山と渓谷社 初版 1994



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