2019/05/28

1966年

 その日は、ある地方都市の高校の入学式をおえての最初の登校日。電車をおりて、同じ町から通う三年生の先輩二人とこちらもクラスが同じになった同級生一人、四人でゆっくり歩いていた。このままのペースで行くと、遅刻しそうなのに、先輩らは急ぐそぶりを見せない。追い越すのもなんだか気が引けて、そのままずーっと同行したので、案の定遅刻になった。「前代未聞だ。新入生が、登校初日に遅刻するとは、」こってり絞られたのは言うまでもない。願わくば、ひとこと「遅刻になりそうだから、走っていけ。俺たちのことはいいから」と言ってほしかった。ちなみに、その先輩の二人の現在は不明であるが、知りたくもない。同級生(死者に鞭打つようになるが、あえて言わせてもらう。中学3年の時同じクラスだった彼は、IQテストの答案を時間前から書き始めたり、借り出してきていた県内模試の前日隣の学校で行われた問題用紙そのまま当日の試験にのぞみ、見事?県で一番になった!そんな偽りの人生を生きて、何が楽しく、何を誇れるのだろう?その後、普通の私大に合格したのだが、国立大のバッジをつけて電車通学していたといううわさを聞いても、嘘だとは思えなかった。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏)は、五十になる前に心筋梗塞で死んでしまった。
 あの頃は、野良犬もそこら中 みかけるような時代だった。通学中、街中で性交していた犬たちをみかけた。それを見ていた三十代のОLの隠微な笑いが頭から離れなくなる?
 
 時は過ぎゆき、1968年 。しかし、それはまた別の機会の話だ。

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