2019/06/30
2004/09/12
2004/9/12 坊平
S科さん、絶好調!イプシロン4最高!
E森さんも、相変わらず好調!雲底まで・・ハーネスのおかげ?
一本目、ランディングで機体をたたんでいると、一昔前のうら若き女性が問う。「危なくないですか?」するとボクはこう答える。「危ないですよ。だからやってるんです。」と・・・「家族を見捨ててるんですね。」とたたみかけるので、「とっくに見捨てられてます。」と答えた。
S科奥さん、ホワイト怪鳥は、次回頑張りましょう。
Gは相変わらず好調でした。タイミングさえ良ければ、きょうも雲底までいけたはずです。雲を使い果たした気もしますが、最後は手で掴めばいいでしょう。それを言うなら、神(紙)に見放されたら、運(ウン)を手でつかめ、でしょう!!IMさんも来てました。「毎日が日曜日」ううううらやましー
2004/08/21
8/21 土曜日 坊平
トリカブト山頂からゲレンデを見渡すと、誰も飛んでない。??
??×10パラグライダースクールはお休み??後で聞いたら、強くなってきたので、長めの昼休みをとっていたようだ。
F沢さんは、300ゲインして、馬見が崎まで飛んで行ったとか!!
坊平に戻ると、天敵がいらしてました。ソアリングしたとか。めでたし、めでたし。
2019/06/29
2004/05/05
5/5 オニコウベ
きょうは、カムロディでした。私の前にテイクオフしたひとはほとんどカムロに行きました。
それなのに、一本目はぶっ飛んでしまいました。仕方なく、ぶっとび組に加わり、キズをなめあっていました。(←ちょっと気持ち悪いぞ)
それなのに、一本目はぶっ飛んでしまいました。仕方なく、ぶっとび組に加わり、キズをなめあっていました。(←ちょっと気持ち悪いぞ)
ゲイン 0 最大上昇+0.8 最大沈下-4.6 飛行時間23分
曽我部さんのSAT
しかし、ああついに、カムロをとりました。
パラをはじめて早や16年。やり残したことをひとつクリアしました。これはずばり言って、妖怪に会わなかったからかな?たぶん?
それにしても、SPC T橋さんの粘りはスゴイ。でも、脱帽はしません。円形脱毛症がばれるので・・
詳しくは、飛べないフライヤー?ぶいさんのページへジャンプ
ゲイン 476m 最大上昇+3.2 最大沈下-4.7 飛行時間 65分オニコウベのエリアフィー |
1,200円
|
テレキャビン1回券 |
700円
|
2019/06/28
2019/06/20
2019/06/19
2019/06/15
1967年
まことに不用心なことであるが、その高校の校庭と校舎を2分割するように、間を1.5m幅の舗装された県道が通っていた。当時の若い女性は、ほとんどといってよいほど洋装であったが、いつもきまった時間に東から西へ通る20代半ばと思われる女性は、鮮やかな着物に渋い茶羽織を羽織り、文字通りしゃなりしゃなりと粋な感じで歩いていた。いつの間にか見かけなくなってしまったが、ちゃんと近くで見ておくべきだった。惜しいことをした。
時は過ぎゆき、1974年。レイバンのサングラスをかけて顔を隠すように電車に乗っていたが、次の 止まった駅から乗り込んできたのは、待ち合わせしてこれから会う下請け業社の職人のひとりだった・・・これ以上は、また別の機会に話そう。
時は過ぎゆき、1974年。レイバンのサングラスをかけて顔を隠すように電車に乗っていたが、次の 止まった駅から乗り込んできたのは、待ち合わせしてこれから会う下請け業社の職人のひとりだった・・・これ以上は、また別の機会に話そう。
2019/06/12
2019/06/10
2019/06/08
2019/06/07
ある記憶
彼女が嫁ぎ先でアル中になり、離婚し、ひとりぐらしの父親の住む実家に戻ったのは、東日本大震災前だった。その後、パート先で脳梗塞か何かで斃れ、病院で亡くなった 。
ある夏の日、周囲に誰もいない昼下がり、水の入った盥の中で触りっこしている小学校入学前の男女がいた。そのような記憶があるはずがない、妄想だなどという人もいるが、ある作家は生まれた時の記憶があると書いている。つい最近までは会話の内容まで覚えていたつもりだったが、ボケがはじまったのかもう何も記憶にございません。妄想は限りなく広がりますが、そんなことは意味のないことでございます。
以上、短く拙い記憶でした。
ある夏の日、周囲に誰もいない昼下がり、水の入った盥の中で触りっこしている小学校入学前の男女がいた。そのような記憶があるはずがない、妄想だなどという人もいるが、ある作家は生まれた時の記憶があると書いている。つい最近までは会話の内容まで覚えていたつもりだったが、ボケがはじまったのかもう何も記憶にございません。妄想は限りなく広がりますが、そんなことは意味のないことでございます。
以上、短く拙い記憶でした。
2019/06/06
2019/06/05
2019/06/02
1958年
威風堂々にして大胆不敵とは、まさにこういうことか?のぞき見されているとはつゆ知らず、ずんずんと湯船のほうに、どこも隠さず正面から進んでくる成熟した女たち。惜しげもなくその裸体をさらしても、恥ずかしいとは思わないだろう。現代のヴィーナス!少しは恥じらいがあった方がいいのだが・・・
「こらあ、なにやってる」町内にたった1件の銭湯を営業しているところの同級生の息子 にさそわれて、焚口に作られた覗き穴から凝視していたのがばれたのだ。なぜ?大声で怒鳴ったのは、その銭湯のおやじ、つまり経営者。彼が、われら小学生低学年の男たちのために覗き穴を作ったのだろうか?その後どうなったのかは記憶にございません。
その友達から家に遊びに来るといわれたが、自分の家があまりにもみすぼらしく思い、恥ずかしかったので、あちこちよその家のほうへ引きずり回したが、ついに観念し自分の家に着いたら、そこがなんだかよそよそしく、自分の祖母をみても他人の家のように見えてきた。
蛇足ですが、その祖母は強い左利きで、まだ水道を引いてない時代、水がめは台所の流しの左側にあった。鎌とかも左手で使ったらしい。左利き用などなかった時代、どう使ったのか?頭のほうも少し左巻きだったかも?その血を引き継いだのか、どうしても右手で独楽をまわせなかったオレは、左手で試してみたら回せるようになった!
「こらあ、なにやってる」町内にたった1件の銭湯を営業しているところの同級生の息子 にさそわれて、焚口に作られた覗き穴から凝視していたのがばれたのだ。なぜ?大声で怒鳴ったのは、その銭湯のおやじ、つまり経営者。彼が、われら小学生低学年の男たちのために覗き穴を作ったのだろうか?その後どうなったのかは記憶にございません。
その友達から家に遊びに来るといわれたが、自分の家があまりにもみすぼらしく思い、恥ずかしかったので、あちこちよその家のほうへ引きずり回したが、ついに観念し自分の家に着いたら、そこがなんだかよそよそしく、自分の祖母をみても他人の家のように見えてきた。
蛇足ですが、その祖母は強い左利きで、まだ水道を引いてない時代、水がめは台所の流しの左側にあった。鎌とかも左手で使ったらしい。左利き用などなかった時代、どう使ったのか?頭のほうも少し左巻きだったかも?その血を引き継いだのか、どうしても右手で独楽をまわせなかったオレは、左手で試してみたら回せるようになった!
5月の読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:1662
ナイス数:41
漱石の思い出 (文春文庫)の感想
「・・・ああいう病気は一生なおりきるということがないものだ。なおったと思うのは実は一時沈静しているばかりで、あとでまたきまって出てくると申されて・・・・」20代のころから胃の病に苦しみ、精神も病んだ漱石を、愛情あふれた妻の口から優しく語り継がれる。「あるほどの菊投げ入れよ棺の中 漱石」
読了日:05月24日 著者:夏目 鏡子,松岡 譲
道草 (新潮文庫)の感想
著者の自伝的小説である。(「雌蝶も雄蝶もあったもんじゃないのよ貴方。だいち御盃の縁が欠けているんですもの」「それで三々九度を遣ったのかね」「ええ、だから夫婦仲がこんなにがたぴしするんでしょう」)仲が悪そうでそうでもない、ユーモラスな凸凹夫婦である健三夫婦。最後、「世の中に片付くものは殆どありゃしない。一遍起こった事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変わるから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」と、しめくくられる。
読了日:05月15日 著者:夏目 漱石
沖縄ノート (岩波新書)の感想
作者は幾度となく問いかける。「・・・日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか、」幾度となく訪れた沖縄のルポルタージュ、まさに「沖縄ノート」である。「・・・誰がこの舞い狂う老女を、真に屈服せしめえよう?」《日本の方々には募金してもらうより日本人自身のことを考えてもらいたい》「・・・・・酷たらしく死んだ沖縄の娘たちの死は、いわば琉球処分以後のすべての沖縄の、望ましい日本人たろうとつとめた女性たちの歴史的つながり総ぐるみにおいての死であった。・・・・・・」
読了日:05月08日 著者:大江 健三郎
みずから我が涙をぬぐいたまう日 (講談社文芸文庫)の感想
「この中編小説を、僕はまさに三島の自決の翌年に、それにこたえるようにして書いたのでした・・・」作者あとがき/本書は、作者の主張がおそらく意図的にボカシてあるので、読む側は忖度?してそれを読み取り、自分なりにまとめる(解釈して消化する)他ないのではないのだろうか?「・・・滑稽な話であるが、その時には、天皇陛下万歳!と叫んで、自分こそがあの人の血を真につぐものであることを認めてもらおう、と思ったことである。」
読了日:05月06日 著者:大江 健三郎
一九五二年日航機「撃墜」事件 (角川文庫)の感想
「・・「もく星」号墜落事故は、とりも直さず日本の空を軍事的に掌握している極東空軍の管轄の責任でもある。その事故が人為的なそれであろうと、不可抗力であろうと、その責任は、極東空軍にある。・・」1971年7月30日、全日空機が自衛隊機に「仮想敵機」として演習の目標にされ、岩手県雫石付近に墜落したという新聞記事で、「日本の黒い霧」で書いた「もく星」号遭難事件の事故分析の間違いに気付いた作者は、以後「風の息」という長編小説を書き、20年経てからこの作品が生まれた。きっかけは、1983年の大韓航空機撃墜事件らしい。
読了日:05月02日 著者:松本 清張
読書メーター
読んだ本の数:5
読んだページ数:1662
ナイス数:41
漱石の思い出 (文春文庫)の感想
「・・・ああいう病気は一生なおりきるということがないものだ。なおったと思うのは実は一時沈静しているばかりで、あとでまたきまって出てくると申されて・・・・」20代のころから胃の病に苦しみ、精神も病んだ漱石を、愛情あふれた妻の口から優しく語り継がれる。「あるほどの菊投げ入れよ棺の中 漱石」
読了日:05月24日 著者:夏目 鏡子,松岡 譲
道草 (新潮文庫)の感想
著者の自伝的小説である。(「雌蝶も雄蝶もあったもんじゃないのよ貴方。だいち御盃の縁が欠けているんですもの」「それで三々九度を遣ったのかね」「ええ、だから夫婦仲がこんなにがたぴしするんでしょう」)仲が悪そうでそうでもない、ユーモラスな凸凹夫婦である健三夫婦。最後、「世の中に片付くものは殆どありゃしない。一遍起こった事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変わるから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ」と、しめくくられる。
読了日:05月15日 著者:夏目 漱石
沖縄ノート (岩波新書)の感想
作者は幾度となく問いかける。「・・・日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか、」幾度となく訪れた沖縄のルポルタージュ、まさに「沖縄ノート」である。「・・・誰がこの舞い狂う老女を、真に屈服せしめえよう?」《日本の方々には募金してもらうより日本人自身のことを考えてもらいたい》「・・・・・酷たらしく死んだ沖縄の娘たちの死は、いわば琉球処分以後のすべての沖縄の、望ましい日本人たろうとつとめた女性たちの歴史的つながり総ぐるみにおいての死であった。・・・・・・」
読了日:05月08日 著者:大江 健三郎
みずから我が涙をぬぐいたまう日 (講談社文芸文庫)の感想
「この中編小説を、僕はまさに三島の自決の翌年に、それにこたえるようにして書いたのでした・・・」作者あとがき/本書は、作者の主張がおそらく意図的にボカシてあるので、読む側は忖度?してそれを読み取り、自分なりにまとめる(解釈して消化する)他ないのではないのだろうか?「・・・滑稽な話であるが、その時には、天皇陛下万歳!と叫んで、自分こそがあの人の血を真につぐものであることを認めてもらおう、と思ったことである。」
読了日:05月06日 著者:大江 健三郎
一九五二年日航機「撃墜」事件 (角川文庫)の感想
「・・「もく星」号墜落事故は、とりも直さず日本の空を軍事的に掌握している極東空軍の管轄の責任でもある。その事故が人為的なそれであろうと、不可抗力であろうと、その責任は、極東空軍にある。・・」1971年7月30日、全日空機が自衛隊機に「仮想敵機」として演習の目標にされ、岩手県雫石付近に墜落したという新聞記事で、「日本の黒い霧」で書いた「もく星」号遭難事件の事故分析の間違いに気付いた作者は、以後「風の息」という長編小説を書き、20年経てからこの作品が生まれた。きっかけは、1983年の大韓航空機撃墜事件らしい。
読了日:05月02日 著者:松本 清張
読書メーター
登録:
投稿 (Atom)